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明日のために今日は寝る

幸せに生きるために、がテーマのライフログ。音楽についても多少書きます。

幸せになるためには怒ってはいけない

僕は怒りというのは人間の中で一番健康的で一番悪質な感情だと思っている。

人間の負の感情には怒り以外にもたくさんある。悲しみ、寂しさ、恨み、妬み…数えればキリが無い。僕は数多ある負の感情でも怒りは最も強烈で、悪質なものだと思うのだ。

恨みや妬みというものも恐らく怒りと類似した、かなり危険な感情であるとは思う。

しかし、僕はこの二つに関しては健康的でない、いってしまえば「病気」であると思っている。心が健康な人間は決して他人を恨んだり妬んだりはしないのだ。

恨みや妬みは大元を辿れば他者と自分を見たときに発生する「怒り」である。その怒りが大きく強烈であったために自分の中に住み着かせてしまった結果として恨みや妬みという「癌」となり自分や他者を苦しめる。

「怒り」は誰もが持ち合わせる感情だ。しかし、それが恨みや妬みといった癌になるかは人によって違う。悪性新生物(癌)と同じだ。悪性新生物だってどんな人間にだって毎日のように発生してはうまいこと体内の免疫かなんかに殺されることで「病気」にならずに済んでいる。「病気」として癌が表面化する人は、その多くがストレスによって癌を住まわせてしまった人である。家系などによって先天的に表面化しやすい人も存在するが(僕の母親もそう。)もし、強いストレスに晒されないような人生をおくることができれば発生率というのは激減するだろう。

癌になるのは非常に辛いものだ。いうまでもなくここでいう癌というのは悪性新生物だけでなく心の中に住み着いた恨みや妬みも含まれる。実際に僕の母親は僕が小学生のときに乳癌で死に掛けた。もちろん一番辛いのは母親本人であるのは間違えないのだが、周りの人間も相当辛い。当時小学生だった僕も母親が家にいないというストレスで学校ではめちゃくちゃ斜に構えたり先生に強くあたることが多かった。(すごく後悔してる。)

僕の父親は癌にこそなっていないが明らかに心が病んでいたと今になって思う。父親は高卒でかなり周囲の同年代の人間を僻んでいた。給料も少ない上に労働時間も長く家にいる間は酒浸りで怒鳴っていた。結局両親は離婚した。

怒りは恐ろしいのだ。自分だけでなく他人まで不幸にする。あらゆるものが健康でなくなるのだ。

高校のときに付き合っていた年上の女はメンヘラだった。いつも誰かを妬むような発言をしていた。心はいうまでもなくボロボロだったんだろうけど、体もやばかった。リスカの跡がいっぱいあったし刃物を向けられたこともあった。自分で言うのもなんだが僕は聡明だったから程なくして別れた。(まあそもそも聡明な人間はメンヘラとは付き合わないのだが。)

怒りは自分を見失わせるのだ。一度怒りで心を病んでしまえば何故自分がこんなに他人を恨み妬んでいるのかがわからなくなってしまう。それが続くと怒りが原因で他人を恨み妬むのではなく他人を恨み妬んでいる自分が原因でまた他人を恨み妬むようになるんだと思う。こうなってしまってはなかなか自分や周りの人間だけでは抜け出せなくなって幸せが加速度的に遠退く。強烈な負の感情が自分の中にあったという「記憶」に今度は苦しめられるようになって本格的な鬱の世界に足を踏み入れることになる。

 

それじゃあ、幸せになるためには怒らなければいい、ということになるのだがこれがまた難しい。何故ならば怒ることはある程度まではストレスを開放する手段でもあるからだ。

普段嫌だな、辛いな、ということが起きたとき、これを開放するためにアナタならどうする?人によって手段は違うだろうけどなにか感情に任せて大声を出してみたり、ゲームや運動をすると思う。酒に身を任せる人もいると思う。(まあ僕もこれなのだが。)

ちなみに酒はタバコより体に悪いという学説もあるくらいにヤバイ代物なのでやめたほうがいいらしい。酒は嗜好品であってストレス発散飲料ではない。

と、まあ色々手段はあると思う。じゃあ、ストレスをためることがいけないのであるのだから別に怒ったっていいじゃん。と思いたいのであるが大きな落とし穴がある。

それは、怒ることによるエネルギーの浪費である。

怒ることは、莫大なエネルギーを伴う。何故かといえば心と体の均衡を保つためにエネルギーが費やされるからだ。天秤を思い浮かべてほしい。

普段、心身がまったく健康である人間というのは天秤が完璧に釣り合った状態にある。皿に乗っているのは人生を健康的に(幸せに)完了するために存在しているエネルギーだと思っていただきたい。

この天秤の均衡が崩れたり両者が少なくなっていると不健康(不幸せ)となる。

ここで心的なストレスが蓄積すると心のエネルギーが削られる。普段は削られた分のエネルギーによって発生した不釣合いを補うために体のエネルギーを利用して心のエネルギーに変換をすることで均衡を保っている。逆に体のエネルギーが削られた場合でも心のエネルギーを利用することで均衡を保っているのだ。

そうして削られたエネルギーは、通常食事や娯楽、睡眠によってある程度回復をすることができる。

しかし、心、体どちらかに大きな負担がかかると、そこで発生した不釣合いを釣り合わせるためには通常より大きな、莫大なエネルギーを費やす必要が出てくる。怒りが発生する多くの場合は自分が受けている処遇や環境に対して心が深く傷つくからだ。こうして減ったエネルギーは通常の手段では回復を完了できずに不完全のままとなってしまうのだ。

怒りが時として、人殺しにまで発展するのはこのためだ。莫大なエネルギーを心ではなく他者に向けることで人間を殺すことができるほどの原動力となる。

 

そうして怒り続ければ当然、段々と体のエネルギーが足りなくなってくる。体のエネルギーが足りなくなってくれば心のエネルギーとして変換するものがなくなる。皿にあるべきはずの人生を幸せに全うするためにあったはずのエネルギーがなくなり不幸せとなって、最終的に死ぬ。

と、まあわかりにくい表現ではあるけど、怒ることによって人は段々と不幸せに近づく。もっと単純な言葉にすれば、怒るたびに死に近づく。

ちょっと違うけどまどマギソウルジェムを思い浮かべてくれればいい。

だからといって、ストレスを溜め込むのはもっとよくない。それは天秤の不釣り合わせをそのままにしておくということだ。不釣り合わせを放置すれば死に近づくとかそんな曖昧な表現ではなくすぐに死ぬ。心が減っている場合には自殺、体が減っている場合は病気で。

 

 

それじゃあ、幸せになるために、しかも怒らないためにはどうすればいいんだよと。

答えは簡単だ。ストレスになるものを極力避ける。ストレスを感じないようになればいい。

と、答えるだけなれば本当に簡単だからいいようなものの、これを実行しようとするとものすごく大変だ。だけど、怒ることをやめるのであればこれしかないのだ。

それじゃあどうやってストレスを避けようか。僕が一応実践している(というより意識していること)を例に挙げてみる。実践できてないけど理解したことも挙げる。

例によって科学的根拠はない。

 

 

アルバイト(仕事)に責任を感じないように意識する

僕は留年しているのでもう○年くらい塾の講師のバイトをしている。塾といっても個別なのだが、大学や高校、中には中学受験するような生徒も多数見てきたし教えてきた。

塾講師といえば、最近は違法労働を強いるみたいな話も多くはなっているが、実際はもっと酷かったりする。基本的な賃金の未払いは食らったことがないが、本来業務だろこれといったようなことに対して、賃金が発生しないような仕組みが実によく仕込まれている。

個別塾の講師のアルバイトなんて9割学生だし、その多くが非常に「意識高い系」である。(僕は意識がめちゃくちゃ低い。)

企業としては、意識高い系の学生アルバイトほど利用しやすいものはない!くらいの意識なんだろうと思う。実際アルバイトの多くが賃金に対して特に不満を言うことがない(基本時間給が飲食等に比べればいいからだと思う。)

塾講師のアルバイトをしていると、結構な割合で重要な責務を負わされることが多い。シフトの管理とか、保護者対応とか…。

保護者対応の中には「受験に失敗」とか「成績不振」とかで謝罪させられる場面も多い。それに対して責任を感じるアルバイトもめちゃくちゃ多いこと多いこと…。

塾講師のアルバイトの多くが「教え方」をきちんと教育されてから仕事をすることがない。ある程度仕事の流れを教えられたら自分流の教え方を仕事をしていくみたいなことが多い。

もちろん、仕事をする上でしっかりと結果を求めるのは大事だ。だけど、はっきりといって塾講師界は「ほっぽりだしておいて結果を求める」ということがまかり通っている。ばかばかしい話だ。

さらに言えば、たかだか進学のための受験で結果が出せないのは90%が「受験する本人」の問題だ。○年やっていればそれくらい察しがついてくるし、(僕は通塾したことがないが)僕も受験で失敗したときというのは自分の努力が足りていなかったということを自分で理解ができる。

個別の塾で本来するべき業務なんてのはモチベーション管理くらいのもののはずなのだ。

だから僕は、生徒の結果が出ないからといって一喜一憂しないし、全く興味がないくらいの気持ちで仕事をしている。やるのは本人であって僕はあくまで提示するだけなのだ。

他の講師はよく生徒のためを思って怒っていたりするが僕は絶対に怒らない。疲れるだけだからだ。

業務が終われば光の速さで帰宅してタバコを吸う。タバコはおいしいから吸う。ストレスで吸うことはない。

 

多分、日本人は勤勉だから多くの人が仕事に対して熱心で責任をもって取り組んでいるんだと思う。ただ、企業が真面目に労働者に対して責任をもって雇っているとは考えちゃいけない。責任をもって真面目に仕事をすればするほど、利用されるだけだ。

きっと、みんなそれを知っている。知っているからこそストレスを感じて、ため込んで、他者に対して怒りを持って病んでいくんだろう。

じゃあ、今この瞬間から責任を持つことを辞めればいいのだ。先々のことなんて考えたって意味がない。本当に意味がないと思う。

だって、よく知らない行ったこともないような国の銀行が倒産しただけで本来であれば関りもない自分の首が切られる世界なんだぜ?

10年後のことを考えて今ストレスため込んで5年後病んで死ぬなんて馬鹿らしくないか?アナタが頑張ったところで、アナタの評価をするのは周りにいる同じ職場の数十人なんだよ。

幸せになるためにはそんな小さい世界の人間のことなんて気にしてはいけないのだ。

仕事に責任を持つな。時代は変わったんだ。この世界で本当にその人がいなければ成り立たないものは芸術だけだ。

 

 

 ・身の丈にあった生活を目指す。

身の丈に合わない生活というのは、ものすごくストレスになる。

簡単に言えば、「周りに流されるな」っていうことになってしまうんだけど、なかなか難しい。

だから、小さいことでもいいと思うのだ。

無理してファッションや食事に金を使う必要はない。友達は別に数なんて必要ではなく数はむしろ足枷だ。本当に無理なら恋愛なんてしないほうがいい。(特に女は無理して恋愛して人生コケるやつが多い。)

周りに、他人に流されたり真似事をしたりするのは、自分との間になにか差を感じているからだ。何故かその差に負い目を感じて、他人ではなく自分に大して「怒り」を感じる。それは気付かないくらいのものかもしれないけど、自分の生活する社会全体が作り出すストレスであるから、簡単に積み重なって大きなストレスとなってしまう。

 

繰り返しになるけど、僕が、アナタが生きている世界なんて本当に小さいものなのだ。

JRにでも乗って眠剤一つ飲んでみな。起きたらだれも自分のことを知らない世界について車掌さんに起こされるよ。

グローバル社会なんてある意味で嘘なんだよ。本当はどんどん世界は狭くなっている。

グローバル社会なんていうのは多元宇宙論みたいなものなのだ。違う小さな宇宙が無数に出来ているのだ。違う宇宙に飛び込めばそこは違う宇宙なのだ。

 

 

自分のことだけ考える。

前の二つと同じような感じではあるけど、自分のことだけを考えることだ。

例えば、非常に不謹慎であるし後ろ指を指されてもおかしくはない発言ではあると自覚はするが、今日町の中ですれ違った人間が今唐突に心停止で全員死亡したとしてもなにも思わない。

極論を言えば僕が大切に思う人間以外が全て死滅したとしてもまったく何も思わない。思うといえばこれから米をどうやって食べようかなってことくらいだ。

人間関係なんて、99%がその地を離れれば自然と消滅するようなものだ。そんな人間のために自分がストレスを負ってまで尽くす必要があるのか?

自分の利益のために行動しなくてはいけない。利益とはお金のことではない。お金は利益を得るための手段でしかない。利益は幸せだ。

 

 

 

 

とまあここまで書いて疲れたのでそろそろやめます……明らかに後半テキトーだけど許して……タバコ吸いすぎて頭が弱いから文章考えるのがつらい。

 

とにかく、怒るということは自分の魂を汚すことだ。その汚れはなかなか落ちない上に毒だ。その毒は本来得るはずだった幸せを蝕んで人を死に至らせる。

大体世界中の宗教で「怒ることはよくないからやめよう」的なニュアンスの文章が残っているのだ。それは、相手のことを思ってではない。仏教なら輪廻からの解脱を目的としているしキリストなら天国へ行くためにすることだ。結局自分のためだ。隣人を愛せってやつだ。

幸せになるために、別に相手のことを愛する必要はない。だけど怒ることはやめてみようかなって思う。ここまで読んでくれたアナタも一緒にどう??